出会いから始まった、こだわりのとうふ店〈まめなとうふ店〉
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ああ、豆腐。白くて柔らか栄養たっぷり。豆腐ほど種々様々に味わってきた食材はないかもしれない。そんな中、忘れられない豆腐に出会った。今回は、東京は西荻窪の「まめなとうふ店」を切り盛りする、堀井尚子さん(豆腐製造担当)と桑原有子さん(惣菜担当)に、西荻窪駅の南口と北口にある店舗のうち、北口のとうふ工房でお話を伺った。
ご存知の通り、基本の豆腐は、水に浸した大豆をつぶして窯で炊き、それを絞って豆乳とおからに分け、豆乳ににがりを打って固めるとできる。シンプルだからこそ素材の味がストレートに出る。まめなとうふ店を始める時に2人で決めたことは、「自分たちが食べたくないものは作らない」ということ。ここのなら安心と思ってくれたら嬉しいという。実際、「離乳食で最初に食べさせた」、「この豆乳を飲むと死人も生き返る」と言われるほど。桑原さんのお父さんは亡くなる前に、他のものは食べられなかったのに最後にここの豆乳ゼリーをぺろりと食べたという。「豆腐はね、消化がいいし本当に優しい」と桑原さん。
一度食べたら忘れられない豆腐を支えるのは、素材へのこだわり。使うのは、国産在来種の大豆と天然のにがり、水のみ。消泡剤は入れない。大豆を炊くとものすごく泡が出るそうで、消泡剤を入れると泡が消えるだけでなく泡ごと豆乳になるので、くまなく豆腐に使うことができる。ただ、消泡剤の体への影響はまだ証明されていない。ならば余計なものは入れたくない。変なことはしない。
一度食べたら忘れられない豆腐を支えるのは、素材へのこだわり。使うのは、国産在来種の大豆と天然のにがり、水のみ。消泡剤は入れない。大豆を炊くとものすごく泡が出るそうで、消泡剤を入れると泡が消えるだけでなく泡ごと豆乳になるので、くまなく豆腐に使うことができる。ただ、消泡剤の体への影響はまだ証明されていない。ならば余計なものは入れたくない。変なことはしない。
国産在来種へのこだわり、それは、「香りも風味も食感も、豆でこんなに違うんだ」と、堀井さんが豆腐に対する考えを一新するきっかけになったのが、千葉県君津市の小糸在来種の寄せ豆腐だったことから。在来品種VS奨励品種という説明になってしまうが、各都道府県が奨励する品種は、品種改良で育てやすく安定して作られるので値段が安い。ただ、味が少し素っ気ない。対して、その土地に元々ある在来種は品種改良なしで、土地に守られてきた種ゆえの「野生のまんまみたいなおいしさ」(堀井さん)があるという。お店では対照的な2つの在来種を定番にしている。「北海道産の音更大袖振(おとふけおおそでふり)」は甘みがあって誰でも食べやすく、「茨城在来」は香りが強くクセになる味。略して「いばきぬ」(茨城産のきぬ)なんて注文する声はちょっとかっこいい。
「揚げたてを食べてみます?」と堀井さん。一斉に油からあがった狐色の厚揚げはパンパンに膨れて元気いっぱい。熱々をフーフー冷ましながらいただく。サクッじゅわ〜。油の香りと豆腐の旨みが鼻に抜ける。江戸時代に菜種油が作られて庶民に広がったという油揚げ。油はこだわりの米澤製油(熊谷)の圧搾搾りの菜種油。圧搾搾りは抽出法(溶剤を使って油を抽出)に比べて値段は約3倍。けれど油の質は譲れない。桑原さんは、「例えば、いなりずしは、油揚げの美味しさで決まります。国産の圧搾の菜種油は味も色もよく、油が出汁になるくらいなので、油抜きはせずにさっと煮ています」と油に絶大の信頼を寄せる。
材料にこだわると値段は高くなるが、それでも妥協せず自分たちの作る豆腐を必要としている土地を求め、西荻窪に行き着いた。この辺りにかつては23軒、開業当時は7軒の豆腐屋があった。それは豆腐屋で豆腐を買う人が多いことに他ならない。食道楽が多い印象も。例えば、新しいお店ができたら一度は行き、「美味しかったらまた来るわ」と買って帰り、「美味しかった」と言うためだけに来てくれる。だからこそ裏切れない。取材中もお客さんがひっきりなし。冷蔵ケースには豆腐や厚揚げの他、小松菜のおひたしの湯葉巻きや、かぼちゃの白和え、豆乳ゼリーなど、旬野菜の鮮やかな色が食欲をそそる惣菜の品々。食べると味付けが上品で優しい。惣菜メニューは週の前半と後半でも違ったりする。
「ずっと同じものを作るのはつまらないでしょ(笑)」と桑原さん。「豆腐屋の惣菜の役割は、端材などを無駄なく使い切ることや、どう食べるかの提案と考えているので、お家にあるもので簡単にできるものや、今夜のおかずのヒントになったらいいなと思って作っています」
「揚げたてを食べてみます?」と堀井さん。一斉に油からあがった狐色の厚揚げはパンパンに膨れて元気いっぱい。熱々をフーフー冷ましながらいただく。サクッじゅわ〜。油の香りと豆腐の旨みが鼻に抜ける。江戸時代に菜種油が作られて庶民に広がったという油揚げ。油はこだわりの米澤製油(熊谷)の圧搾搾りの菜種油。圧搾搾りは抽出法(溶剤を使って油を抽出)に比べて値段は約3倍。けれど油の質は譲れない。桑原さんは、「例えば、いなりずしは、油揚げの美味しさで決まります。国産の圧搾の菜種油は味も色もよく、油が出汁になるくらいなので、油抜きはせずにさっと煮ています」と油に絶大の信頼を寄せる。
材料にこだわると値段は高くなるが、それでも妥協せず自分たちの作る豆腐を必要としている土地を求め、西荻窪に行き着いた。この辺りにかつては23軒、開業当時は7軒の豆腐屋があった。それは豆腐屋で豆腐を買う人が多いことに他ならない。食道楽が多い印象も。例えば、新しいお店ができたら一度は行き、「美味しかったらまた来るわ」と買って帰り、「美味しかった」と言うためだけに来てくれる。だからこそ裏切れない。取材中もお客さんがひっきりなし。冷蔵ケースには豆腐や厚揚げの他、小松菜のおひたしの湯葉巻きや、かぼちゃの白和え、豆乳ゼリーなど、旬野菜の鮮やかな色が食欲をそそる惣菜の品々。食べると味付けが上品で優しい。惣菜メニューは週の前半と後半でも違ったりする。
「ずっと同じものを作るのはつまらないでしょ(笑)」と桑原さん。「豆腐屋の惣菜の役割は、端材などを無駄なく使い切ることや、どう食べるかの提案と考えているので、お家にあるもので簡単にできるものや、今夜のおかずのヒントになったらいいなと思って作っています」
堀井さんと桑原さんは、豆腐屋のアルバイトと常連さんとして知り合い、やがて、豆腐屋の社員とアルバイトとして一緒に働き、料理上手な桑原さんの家で家族に混ざって堀井さんがよく食事をするようになり、やがて、2人で豆腐屋をやることを思い描くようになったそう。長い時は16時間も働き通しで食べる時間もなかったという豆腐屋を辞め、2人は店舗探しの長い散歩をした。2年くらい歩いてもまだ見つからずにいた折、堀井さんがバイク事故で肋骨骨折、脾臓破裂の大怪我を負う。「ほら、ここ」と見せてくれた薬指には縫合した跡(この時に触れた堀井さんの手の平の皮の厚さに豆腐屋の矜持を感じた)。身内のふりをしてICUに駆けつけた桑原さんと、ベッドに横たわる堀井さんの、顔を合わせた第一声が「もう(お店を)やろう」だったという。そこから流れが変わった。豆腐製造所を借りながら、期間限定店舗や朝市での販売を始め、次に行く場所や豆腐製造所を探している時は「いい場所があったら教えてください」と言い続けた。すると、ここはどう?あそこが空きそうよ、と情報が入り、綱渡りで続けて来られた。「なんだか頼りない2人で助けたくなるんでしょうね(笑)」と桑原さん。
豆腐屋の仕事はきつい。設備投資も多く簡単に始められる仕事ではない。それでもやるのは、「流れがシンプルでいいんです」と堀井さん。「農家さんの大豆で自分が作ったものをお客さんに届けるとすぐに反応をもらえます」。豆腐製造から販売までを一つの場所で実現できたとうふ工房は堀井さんのやりがいを体現する場所。元は植木鉢屋だったレトロな2階家の1階正面に、豆腐や惣菜を入れた冷蔵ケースがある。これは南口の店舗になくて実現したかったこと。
2019年5月の開業から6年。今も毎日を生き抜くのに必死だという2人。堀井さんも桑原さんも、お互いに「出会っていなければ、今の人生は考えもしなかった」。こんな出会いが人生にはあるのだ。
豆腐屋の仕事はきつい。設備投資も多く簡単に始められる仕事ではない。それでもやるのは、「流れがシンプルでいいんです」と堀井さん。「農家さんの大豆で自分が作ったものをお客さんに届けるとすぐに反応をもらえます」。豆腐製造から販売までを一つの場所で実現できたとうふ工房は堀井さんのやりがいを体現する場所。元は植木鉢屋だったレトロな2階家の1階正面に、豆腐や惣菜を入れた冷蔵ケースがある。これは南口の店舗になくて実現したかったこと。
2019年5月の開業から6年。今も毎日を生き抜くのに必死だという2人。堀井さんも桑原さんも、お互いに「出会っていなければ、今の人生は考えもしなかった」。こんな出会いが人生にはあるのだ。
(写真と文 篠田英美)
まめなとうふ店
南口・本店 東京都杉並区松庵3-38-20 営業:火水金土 12時〜19時北口・とうふ工房 杉並区西荻北4-1-10 営業:火木 12時〜19時
